
1歳半の時に1週間高熱を出し、寝込みました。
それまではキリッとした目つきの、表情豊かな赤ちゃんだったようです。
高熱から回復した時には、急に聞こえなくなったからか、ボーっとしてぼんやりすることが増えたようです。
名前を呼んでも、反応も振り向きもしない。
母はとても不安になり、私を病院に連れて行きました。
結果、私は聴力を失っていました。
小学生の頃に初めてその話を聞いた時には、聞こえないことは私にとって日常だったので、かつては聞こえていた、という事に全くピンと来ませんでした。
まして、その時の両親や、家族の想いなんて…。
2人の子どもに恵まれて、育児をしていく中で、徐々に徐々に。
元々あったものが突然失われるのはどんなにか辛く、ショックだっただろう、と思うようになりました。
いつだったか、「聞こえない、と言われた時には目の前が真っ暗になった」と母に言われました。
両親の祖母がどちらもしっかりした人たちで「親がしっかりしなくて、どうする」と励まされたと聞きました。
私はというと、確かに聞こえない事で苦労することも嫌な想いをすることもたくさんあったのですが、愛情で支えてくれる家族と、周りの理解者、心癒されるものたちがあれば、幸せなのです。
なので、私にとって聞こえないことは、聞こえないことを実感した時に少しの寂しさと痛みを伴うくらいの日常で、それすら私を形作るものの一部でしかないと感じます。
手話で話すのが1番という方が多いのですが、私は幼い頃から手話に触れていないせいか、手話は会話の補助的なもので、書くことが1番、素直に伸び伸びと綴ることができます。
詩や絵は私にとって、この世で最も私の想いを表せる手段です。
そういう意味では、私は聞こえなくて良かった、と思います。
幼少の頃から、おもちゃよりもなによりも、自然の中で遊ぶのが好きでした。
空の雲、揺れる木の葉、花々、土、石、虫…どれも美しいと感じていました。
聞こえないからこそ、そんな美しい世界に没頭できたと思います。
本を読み、絵を描き、よく遊び、とことん好きな事をして過ごして、とてもしあわせな幼少期でした。
この頃は、何かを失うのは不幸ばかりではなく、失うからこそ得られる、しあわせもたくさんあるのだろうな、と思います。
私は聴力と共に、何不自由のないコミュニケーションと耳から入る情報を失いましたが、代わりに内なる自分の世界、そして美しい自然を知ることができました。
完全であることが必ずしもしあわせというわけではないです。
不完全だからこそ、得られるしあわせや学びがたくさんあるのだなぁ、と感じています。